2014.4.16
戸越公園の沿革
本公園は寛文2年(1662)、肥後熊本藩本藩の分家熊本新田藩主細川利重が下屋敷として拝領、寛文6年に本家の所有となり、寛文11年までに数寄屋造りの御殿や庭園からなる戸越屋敷とあいて整備された屋敷地の一部にあたります。文化3年(1806)、石見浜田藩松平周防守の屋敷となり、さらには伊予松山藩松平隠岐守の手に渡りました。明治の変革により何人かの手を経て、明治23年(1890)三井家の所有となりました。
昭和7年(1932)9月、三井家は学校用地、公園用地として、現在の戸越小学校、都立大崎高等学校を含む別邸の庭園部分を荏原郡荏原町に寄付しました。同年10月、東京市域拡張に伴い、荏原町は東京市の一部として荏原区となり、公園用地は東京市に移管され、昭和10年3月東京市戸越公園として開園しました。
その後、昭和18年の都政移行により東京都が管理することとなり、昭和25年9月、一部が都立大崎高等学校となるなどの変遷を経て、翌10月現在の公園部分が品川区に移管されました。その後区では数次にわたる改修を重ね、歴史的な風情を復元させ武家屋敷の雰囲気をかもしだすよう、正門を始め施設の再整備を行い現在に至っています。
<公園の概要>
1.面積 18,255㎡(池の面積1,815㎡)
2.開園日 昭和10年3月24日
3.公園便所 3ヶ所(身障者便所1ヶ所を含む)
4.みどころ 池を中心とした回遊式庭園に咲くサクラやツツジ、キンモクセイ、ウメなど
5.主な利用 区内だけでなく区外からの利用も多く、朝のラジオ体操やゲートボール
祭り、いろいろな催しなど多岐にわたり利用されています。
※以上が園内の沿革表示の写し。
とごし公園通り商店街
全国に知れ渡る戸越銀座にほど近いとごし公園通り商店街。
賑わいこそ感じられなかったが、シャッター街が目立つ昨今において全店が営業しておりキレイな町並みなので歩いてて安心感のようなものがあった。
自動車保有世帯が減っている傾向が、このような駐車場の無いアーケード商店街をよみがえらすプラス要因になるのか見守って行きたいと思う。
特に後を継いだ若い店主さんには頑張れとエールを送りたいと思う。